先日、広島県と島根県とに旅行しました。その際に出雲大社を参拝しました〔アイキャッチ画像〕。
出雲大社本殿の斜め手前に三つの駒札が立ち並んでいました〔写真1〕。出雲大社は平成二十年(2008年)四月から「平成の大遷宮」に着手し、11年後の平成三十一年(2019年)四月にそれを完了しました。駒札はその時に皇室から支援があったこと告知するものです。
〔写真1〕出雲大社本殿前の駒札(2026/8/4撮影)

一番内側のものが、天皇陛下からの御下賜金の知らせです。他の二つより高く掲げられているのは、格上であることを示すためでしょう。
その外側に二つの駒札が並立します。
一つが、宮家からの神饌料の知らせです。秋篠宮、常陸宮、三笠宮、彬子女王、桂宮、高円宮の名があります。これらは直宮家(じきみやけ)です。昭和天皇または上皇陛下または今上陛下の弟や子を創始者とする宮家です〔桂宮と高円宮とは三笠宮から出た宮家〕。
もう一つが、「家」からの神饌料の知らせです。伏見家、久邇家、朝香家、東久邇家、北白川家、竹田家の名があります。
ここで注目したいのは「家」の駒札です。ここにある六家はすべて伏見宮系の旧・宮家です。昭和二十二年(1947年)十月まで皇族であった「家」です。大東亜戦争の敗戦後、伏見宮系の宮家はGHQの方針により皇籍離脱を余儀なくされました〔注1、頁108~119〕。それ以後、法的には一般人と同じになりました。にもかかわらず、出雲大社の平成の大遷宮に際して、旧・宮家は直宮家と同様な貢献をしたわけです。宮家としての長年の伝統は戦後も保たれ続けている。そのことを如実に示すのが件の駒札なのです。
これに象徴されるように、旧・宮家の方々の少なくとも一部は、皇籍離脱後も、「天皇陛下に復帰しろと言われ、国から復帰してくれと言われれば、これはもう従わなきゃいけないという気持ちはあります。(中略)。要するに、今の僕の立場は、元皇族の一員であることを常に頭に置いたうえで一般人として生活することで、皇居に行けば元皇族とはいえ、皇族のような振る舞いをしなければいけない。いわば二重の人生ではあります」〔注2、頁177〕という意識で過ごされてきているのです。
神武天皇から今上陛下に至るまで、すべて男系の天皇です。そこに一人の例外もありません。ところが現在、今上陛下の後の世代の男性皇族は、秋篠宮家の悠仁親王殿下ただ一人です。次の時代の皇室をお一人だけで担っていただくわけにはいきません。複数の宮家とともに歩んでいただく必要があります。今後も国体を護持し続けるためには、複数の宮家の存続を盤石にすることが焦眉の急なのです。
この度成立した改正皇室典範は、旧・宮家の男子が直宮家に養子入りすることを可能とするものです。先述の駒札でいえば、右端の「家」から隣の「宮家」へ養子入りすることです。皇室の伝統を踏まえれば自然なことと言えます。
ところが、既存のメディアは、産経新聞を除いて、この改正案に反対しています。読売新聞に至っては、法案成立の翌日の社説で「象徴天皇制の根幹を傷つけた 問題多い養子制度を白紙に戻せ」(読売新聞 2026/7/18朝刊 社説)とまで主張しています。
彼らが養子案を批判する大きな理由の一つは、「今の旧宮家は現在の皇室の系統とは600年前の室町時代に分かれ、80年前に一般人となった。しかも、皇籍を離れた当時の男系男子は今の天皇陛下とは36~38親等離れているという」(読売新聞 2026/7/18朝刊 社説)ことにあります。
「36~38親等離れて」いれば殆ど赤の他人である。「今の皇室に代わり、一般人から皇族となる養子の子孫が新たな天皇として別系統を作れば国民が目にする皇室の風景は一変しよう。それで理解を得られるのか。旧宮家から養子を取る制度は白紙に戻して再検討すべきだ」(読売新聞 2026/7/18朝刊 社説)。彼らはこう主張しているわけです。
その上で、朝日新聞はその社説で「典範改正には改めて反対する。時代錯誤の『物語』を克服するため、女性・女系天皇への道を含め、皇位継承や天皇制のあり方について、開かれた議論を始める時である」(朝日新聞 2026/7/18朝刊 社説)と説きます。
ちなみに、この社説がいう「時代錯誤の『物語』」とは、「2600年の歴史」と「男系男子の伝統」のことです。これによれば、「約2600年前に即位したとされる初代の神武天皇は学術的に実在が確認されていない。建国神話を歴史的事実として教え、神国思想のもと国民を軍国主義に動員した戦前の過ちが繰り返されないか。懸念を抱かざるをえない」(朝日新聞 2026/7/18朝刊 社説)のだそうです。
こうした考えの行き着く先が「愛子天皇」待望論です。私の知る限り、これを公に主張している主要メディアはありません。ただし、著名な政治家や言論人やyoutuberがそれへの願望を表明することでメディアや世論を賑わせています。前回の投稿記事で触れた言論人もその一人です。
愛子内親王殿下が素晴らしい女性皇族であることは誰もが認めるところです。だからといって、長子優先を骨子とする皇室典範の改定には慎重であるべきです。それは、現行規定で皇位継承順位第二位の悠仁親王殿下に皇位を断念していただくことを意味します。それはまさにクーデターです。そんな大それた事を多くの国民が望んでいるのでしょうか?その主張者は自分たちに世論が付いて来ると思っているのでしょうか?秋篠宮家を貶めることで、皇位継承のルールをご破算にしたいのでしょうか?
「女性・女系天皇への道を含め、皇位継承や天皇制のあり方について、開かれた議論を始める時である」(朝日新聞 2026/7/18朝刊 社説)という主張の根底には、皇統は直系により継承すべきという思想があります。男か女かは問題ではない。ましてや男系か否かは重要ではない。皇位は親から子へ受け継がれるべきだ、という考え方です。「愛子天皇」待望論はその表れです。今上陛下と悠仁親王殿下との関係は叔父と甥です。ましてや、今上陛下と旧・宮家との関係は、男系という観点からは、殆ど赤の他人同士です。一方、今上陛下と愛子内親王殿下との関係は親と子です。直系であることを重視する立場からは、次世代の正統な天皇は愛子内親王殿下ただ一人ということになります。
直系優先は我々一般人の感覚に馴染んだものです。娘がいるのに、自分の財産を甥に相続させる人は稀でしょう。ましてや、30親等以上離れた男子に相続させる人はいません。男系ではない天皇(いわゆる「女系」天皇)を容認する人々は、皇位をこれと同じように捉えているのです。皇位は「天皇家」のものだと思っているのです。
それは、我々が、我が国の長い歴史の中で特殊な時代を生きているからです。
光格天皇〔第119代〕から仁孝天皇〔第120代〕への代替わりは親から子への継承です。以後、今上天皇〔第126代〕に至るまで七回連続して親から子へ皇位が継がれています。仁孝天皇の即位は1817年です。今上天皇の即位は2019年です。この約200年間、皇位が直系で継承されています。だから我々はそれを当たり前と思っているのです。
しかし、歴史を紐解いて分かるのは、これは決して当然のことではないことです。
〔図1〕は2019年の拙著で示したものです〔注3、資料編・図1-1〕。これは、神武天皇〔初代〕から平成の世の天皇(現在の上皇陛下)〔第125代〕までの124回の皇位継承につき、その型式を分類して図示したものです。タイプAは父子継承〔父からの継承〕、タイプBは叔父甥継承〔叔父(父の兄弟)または叔母(父の姉妹)からの継承〕、タイプCは兄弟継承〔兄弟姉妹からの継承〕、タイプDは従兄弟継承〔従兄弟(父親同士が兄弟である)からの継承〕、タイプEはその他です。
〔図1〕皇位継承の型式 出典:拙著『邪馬台国吉備説からみた初期大和政権』

これを見ると、父子継承すなわち直系継承が最多であるものの、全体の約半分に留まっています。
我々の時代が特異であるのは、直系継承が連続していることです。先述したように、今上陛下まで七回連続しています。ここでは、これを「直系時代」と呼びます。これは珍しい時代です〔注4〕。むしろ、皇位継承の型式が移ろう方が歴史の通常です。
ところが、もう一つ、著しい直系時代があります。それが皇室の初期です。
ここで私の立場を予め説明する必要があります。
敗戦から今日に至るまでの世の常識によれば、神武天皇に始まる初期の天皇は後世の捏造です。朝日新聞がいうところの「建国神話」「時代錯誤の『物語』」(朝日新聞 2026/7/18朝刊 社説)です。実在の天皇は、せいぜいのところ、継体天皇〔第26代〕以降であるというのが大方の見方です。仮にそれ以前の何代かが実在したとしても、その系譜は偽作であるというのが通念です。
それに対して私は、『古事記』『日本書紀』(以下、『記』『紀』と略す)が記す初期天皇がすべて実在したことは勿論のこと、『記』『紀』が示すその系譜もまた完全なる事実であると考えます。おそらく私は、西欧近代崇拝者や左翼進歩主義者の眼には、反時代的アナクロニズムに囚われた、騙されやすい、愚かで蒙昧な奇人変人に映るでしょう。
ただし、神武天皇の即位年を西暦の紀元前660年と見ているわけではありません。皇室が「2600年の歴史」を有すると信じているわけではありません。私は、神武天皇は紀元前後を生きた人物であると推定しています。つまり、西欧社会が崇めるイエス・キリストと同時代人です。すなわち、神武天皇の即位に始まる皇室の歴史は、二千年ないしそれを少し超える程度と見ます。この推定の根拠は拙著で述べました〔注3、上巻・第一章〕。
以下はこうした立場からの論考であることを予めお断りしておきます。
〔図2〕は初期天皇の系図です〔注3、資料編・系図1〕。神武天皇〔初代〕から雄略天皇〔第21代〕までを図示しています。
〔図2〕天皇系図 出典:拙著『邪馬台国吉備説からみた初期大和政権』

神武天皇〔初代〕から成務天皇〔第13代〕までの12回の代替わりはすべて父から子への継承〔タイプA〕です。成務天皇から次の仲哀天皇〔第14代〕へは叔父から甥への継承〔タイプB〕です。そして応神天皇〔第15代〕から履中天皇〔第17代〕までの3回の代替わりはすべて父から子への継承〔タイプA〕です。
おそらく成務天皇は一種のピンチヒッターでした。景行天皇〔第12代〕の後継は、その皇子である小碓尊とされていました。小碓尊とはヤマトタケルノミコト(日本武尊)のことです。抜群の軍功を挙げた小碓尊でしたが、東征からの帰途に突然崩じられました。そのため皇位に就けなかったのです。ただし当時の大和朝廷内では小碓尊こそが嫡流とみられていました。だから、成務天皇の後を継いだのは、小碓尊の御子である仲哀天皇〔第14代〕なのです。
よって、事実上、履中天皇まで直系継承でした。ところが、です。履中天皇から次の反正天皇〔第18代〕へは兄から弟への継承〔タイプC〕です。ここにおいて、直系継承の伝統が崩れました。これを以て直系時代が終焉を迎えました。以後、様々な型式の継承に移行したことは前述の通りです。
これをどう解釈すべきでしょうか?私は次のように理解します。
初期の大和政権は、「天皇ならびに皇族は男系である」ことと「皇位は直系で継承される」こととの二つの原則を守っていました。だから、皇位のバトンが父から息子へと渡され続けたのです。ところが、やがてこの二つを両立させ続けるのが困難になりました。そこでやむなく放棄されたのが直系継承の原則です。一方、男系であることは絶対条件として保持されました。それが今日まで貫かれているのです。
つまり、皇統にとって、直系であることは叶うならばそれが望ましいことに留まるのに対し、男系であることは至上命題なのです。
皇室典範の改正がクローズアップされている近年の動向を受けてか、これに関して学者からの発言が目立っています。そこにニュアンスの違いはあれど、その基調となるのは、皇室は元々は女系と男系との双系であったという主張です〔注5〕〔注6〕。
曰く、「この時期の族長たちの系譜がどのようなものだったのかを示す確かな文献史料は無いが、『古事記』『日本書紀』の初期天皇系譜、文化人類学的資料などから総合的に推定するに、母系(女系)と父系(男系)がない交ぜになった系譜意識だったと思われる。記紀の天皇系譜からわかることは、五〇〇年代くらいから男系優位のほうに傾き、天武・持統政権下で唐皇帝の男系男子継承のうちの男系継承の部分だけを積極的に移入した。その男系継承の理念に合わせて編集された系譜が『古事記』『日本書紀』において、漢字で固定化されて権威化した。明治政府は、男系だけでなく男性天皇まで絶対化して、唐文化の模倣を徹底させた。しかし、1945年の敗戦後は民主主義社会に変わったのだから、まず唐文化の絶対視・模倣を停止すべきである」〔注6、頁227~228〕と。
もはや、何をか言わんや、ですが、こうした妄言が学者・専門家の権威を羽織って世間に流布しているのが現状です。そのため無視するわけにはいかないので、改めて次のことを指摘します。
初期の皇室が「母系(女系)と父系(男系)がない交ぜになった系譜意識」であったなどという推定は全くの謬見です。その当時の系譜意識はそのような曖昧なものではありません。皇室は、その最初から、男系という血統原理の概念を明確に理解し、意識的にそれを天皇・皇族であることの絶対条件としてきました。それは、中国からの文化移入ではなくて、我が国固有の原理です。
つづく
〔注1〕笠原英彦 2025『皇室典範 明治の起草の攻防から現代の皇位継承問題まで』(中公新書)中央公論新社
〔注2〕伏見博明(著)古川江里子・小宮京(編) 2022『旧皇族の宗家・伏見宮家に生まれて 伏見博明オーラルヒストリー』中央公論新社
〔注3〕若井正一 2019『邪馬台国吉備説からみた初期大和政権 物部氏と卑弥呼と皇室の鏡を巡る物語』一粒書房
〔注4〕皇室の初期と我々の時代とを除けば、父子継承の連続回数の最大は4です〔注3、資料編・表1-1〕。一つは、1072年即位の白河天皇〔第72代〕から1123年即位の崇徳天皇〔第75代〕までの4回です。この間は約50年です。もう一つは、1464年即位の後土御門天皇〔第103代〕から1557年即位の正親町天皇〔第106代〕までの4回です。この間は約90年です。ただし、正親町天皇から次の後陽成天皇〔第107代〕へは祖父から孫への継承です。これを直系継承と捉えるならば、後土御門天皇〔第103代〕から1629年即位の明正天皇(女性)〔第109代〕まで、直系継承の連続回数は7です。この間は165年です。
〔注5〕義江明子 2021『女帝の古代王権史』(ちくま新書)筑摩書房
〔注6〕工藤隆 2021『女系天皇 天皇系譜の源流』(朝日新書)朝日新聞出版
2026年8月16日 投稿