令和8年7月17日、改正皇室典範が国会で可決、成立しました。
これにより、女性皇族が結婚後も皇族の身分を保持することが可能になりました。とともに、GHQの占領下にて臣籍降下を余儀なくされた宮家(旧宮家)の男系男子が、今ある宮家に養子入りして皇族となることが可能になりました。
皇室典範改正案の是非が話題となっていた最中に、改正案に反対の立場から「万世一系」は歴史の偽造であると説く、或る言論人のyoutube番組を視聴しました。皇統が男系で継がれてきたという認識は明白な間違いであるというのです。そして、「女系」天皇の実例があると言って、図を使って説明しだしました。持統天皇〔第41代〕の後の文武天皇〔第42代〕、元明天皇〔第43代〕、元正天皇〔第44代〕は女系天皇であるというのです。
それを見聞きして唖然としました。基本的なことを分からずに公に発言する、その大胆さに驚きました。
言うまでもなく、この四代はみな男系の天皇です。持統天皇(女性)の父は天智天皇であり、文武天皇の父は草壁皇子であり、元明天皇(女性)の父は天智天皇であり、元正天皇(女性)の父は草壁皇子です。父が天皇または皇族であるからこそ、彼らは天皇であり皇族なのです。ちなみに、草壁皇子が皇族であるのは、その母が持統天皇であるからではありません。その父が天武天皇であるからこそ、草壁皇子は皇族なのです。
この言論人の男系継承についてのお粗末な理解はここでは措くとしましょう。本稿で論じたいのは、この人物が指摘した、もう一つの点です。それは、「大宝律令では女帝の子でもかまわない」となっているという指摘です。
757年(天平宝字元年)施行の『養老令』継嗣令に、「凡そ皇の兄弟、皇子をば、皆親王と為よ。女帝の子も亦同じ。以外は並に諸王と為よ。親王より五世は、王の名を得たりと雖も、皇親の限に在らず。」(天皇の兄弟、皇子をみな親王とせよ。女帝の子もまた同じ。それ以外は諸王とせよ。親王より五世は、王を名乗ることはできるが、皇親の範疇には入らない。)とあります。
この規定は701年(大宝元年)施行の『大宝令』のものを引き継いだと推定されています(『大宝令』は、逸文を残すものの、法典としては現存しません)。
先の言論人が指摘するのはこのことです。すなわち、この規定中の細注「女帝の子も亦同じ」を、皇族の父系主義の例外規定と捉えているのです。しかし、それは誤解です。
この一文は、古代史学界では、「父が四世王までであれば女帝の子は親王とする意味だと解釈されている」〔注1〕。
つまり、「母が女帝でありその婚姻が令の規定(義解によると、その婚姻の相手は四世王以上の皇族とする)から逸脱しない限り、所生子は父の身位を継ぐ(引用者注:「王」となる)のではなく母の身位を継ぐ(引用者注:「親王」となる)とする」〔注2、頁133〕ものです。
要するに、父が皇族であり且つ母が天皇である男子は親王とする、という規定なのです。本来ならば、親王は天皇の兄弟または息子です。ところが、兄弟も父もどちらも天皇ではない皇族男子であっても、母が天皇であるならば、その者を親王とする、という規定なのです。
すなわち、これは親王の例外規定なのであって、皇統の例外規定ではありません。
そもそもこの時代、女性の天皇が皇族ではない男性と婚姻関係にある状況は想定されていませんでした。推古天皇にしろ、皇極天皇にしろ、持統天皇にしろ、元明天皇にしろ、元正天皇にしろ、孝謙天皇にしろ、皇族と結婚するか、ないしは終生独身でした。
よって、『養老令』の「女帝の子も亦同じ」を根拠に皇統の男系継承を否定するのは的外れなのです。
〔注1〕山田敏之 2018「旧皇室典範における男系男子による皇位継承制と永世皇族制の確立」国立国会図書館調査及び立法考査局(編)『レファレンス』808号:国立国会図書館
〔注2〕成清弘和 1999『御影史学研究会歴史学叢書1 日本古代の王位継承と親族』岩田書院
2026年7月31日 投稿