ここ数年よく耳にするニュースの一つが金価格の上昇です。その本質は人々の実物資産への回帰です。
今日にあって、円にしろドルにしろ通貨の価値を支えているのは、中央銀行ひいては国家への信用、ただそれだけです。それが無くなれば、マネーは単なる紙切れ、否、パソコンやスマホのディスプレイに表示されるデジタル数字でしかありません。しかしそうなったのは、この半世紀余りのことです。1971年8月15日、米国のリチャード・ニクソン大統領がドルと金との交換を停止すると電撃的に発表しました。これがニクソン・ショックです。それまでは、ドルはゴールドにより裏付けられ、その他の通貨はそのドルと固定レートで交換されました。それが、第二次大戦の終戦を機に構築された世界経済の基本骨格、すなわちブレトン・ウッズ体制です。ニクソン・ショックとはこの体制の終焉です。それ以後、マネーはゴールドという足枷から解放されました。それは、マネーが無尽蔵に膨張できることを意味します。そして実際にそうなりました。歯止めなき信用創造です。世界の各国は、程度の差こそあれ、政府が莫大な国債を発行し、中央銀行がそれを引き受けることで経済を運営しています。中央銀行が紙幣印刷の輪転機を好き放題に回すことができるからこその芸当です。
ゴールドの価格上昇は、国家への信用が収縮していることの反映です。だから人々は無国籍の通貨であるゴールドに向かっているわけです。錬金術がない限り、ゴールドを思うがままに生み出すことは誰にも出来ません。ゴールドは信用創造の対極にあります。だからその価格が上昇しているのです。
ただし、稀少だから、供給に限りがあるから、という理由だけで、その物の価格が上がるわけではありません。人々がその物に価値を見いだして初めて価格が上がるのです。中東で紛争が起これば原油価格は上がります。それは、原油が我々の生存にとって必要不可欠だからです。レアアースの供給が細ればその価格は上がります。それは、レアアースがハイテク製品の製造にとって必要不可欠だからです。原油にしろレアアースにしろ、もし無くても困らなければ誰もそれらに見向きせず、よって価格は上がりません。
この点で、ゴールドは全く性格を異にします。確かにそれにも工業用途があります。それは歯科治療に使われます。しかし、実用性は人々がゴールドを求める動機のほんの一部に過ぎません。ゴールドそのものが放つ輝きや手触りや重さが人間の心に憧れや所有欲を掻き立てます。それがゴールドの価値の本質です。ブレトン・ウッズ体制にしろ、それ以前の金本位制にしろ、それらのシステムがゴールドに頼ったのは、それが有する実用性ではなくて、それが発揮する魅惑力の故なのです。このことには歴史の折り紙が付いています。古代エジプト王朝は、紀元前3500年頃にナイル川上流の金の産地を掌握しました。それに依り、ゴールドを神々への捧げ物、王の装飾品、交易における交換品として使用しました〔注1〕。それは古代オリエント世界に留まりません。その後の5500年間、古今東西を問わず、人類はゴールドを価値の有形物として扱ってきたのです。
それでは、歴史的に、価値を体現する物はゴールドだけだったのでしょうか?そうではありません。世界の一部の地域では、かつて、タカラガイ(宝貝)がその役割を担いました。その代表が古代中国です。ゴールドとの違いは、その栄光が今は昔の話、すなわちとうの昔に至宝の地位を失っていることです。
中国社会史を専門とする上田信氏に『貨幣の条件 タカラガイの文明史』という著書があります〔注2〕。この本の帯にタカラガイの写真が載っています〔アイキャッチ画像〕。タカラガイは別名を子安貝(こやすがい)といいます。その見た目が女性器に似ているため、安産のお守りとして使われたことに由来します。
漢和辞典を紐解くと、「貝」という漢字の象形は、「子安貝の形。子安貝は古くは呪器とされ、また宝貝とされた」〔注3、頁1269〕とあります。つまり、「貝」という文字自体がタカラガイを象ったものなのです。貨幣の「貨」、財産の「財」、売買の「買」、賃金の「賃」、貸借の「貸」など、経済活動に関わる漢字に「貝」の字があるのは、古の中国でタカラガイが威信財であり、交換財であったことの表れです。
その起源は今から約4000年前に遡ります。紀元前2000年頃、黄河中流域の中原に二里頭文化が現れました。これは河南省洛陽市の二里頭(にりとう)遺跡を中心とする考古学文化のことです。この文化にタカラガイが現れ、その後、その数量が増加しました。ピークを迎えたのは、紀元前16世紀頃に始まる殷王朝です。その後は数量を減らすものの、次の周王朝、その次の春秋時代にもタカラガイを尊ぶ文化は続きました〔注2〕〔注4〕〔注5〕。
殷王朝の時代、タカラガイは呪力を持つ宝器でした。それは王の権力と権威を象徴する威信財でした。王はそれを配下の者に賜与することで〔注6〕、主従関係を具象化したのです。実際に、殷・周時代の遺跡や墓から大量のタカラガイが出土しています。その種類の殆どがキイロダカラとハナビラダカラです〔注2、頁19〕〔注5、頁75〕。殷代の遺跡から出土するタカラガイの大半はキイロダカラです〔注2、頁71〕〔注4②、頁65〕。
殷・周の時代、タカラガイは生命と再生のシンボルであり、一族の繁栄をもたらすパワーアイテムでした。それが貨幣となるのは、戦国時代(紀元前403年~紀元前221年)になってからです〔注5、頁95〕。キイロダカラの学名(ラテン語)は、「Monetaria moneta」であり、別名は「Cypraea moneta」です。英語では「Money cowry」です。ラテン語の「moneta」、英語の「Money」は、マネーすなわちお金(かね)を意味します。これらの学名は、キイロダカラがかつて貨幣であったことを反映するものです。
タカラガイは、黄河中流域の河川はもちろんのこと、黄河河口部の海域でも採れません。それは南海やインド洋沿岸部で産するものです。つまり、黄河中流域に栄えた古代中国王朝はタカラガイを遙か南方の地に求めていたわけです。それでは、どこから、どんなルートで、二里頭文化および殷・周代の中原にタカラガイはもたらされたのでしょうか?
今日の専門家が概ね一致するのは、東シナ海・南シナ海の大陸沿岸部で採取され、船積みされて北に運ばれ、淮河(わいが)の河口部ないしは山東半島周囲で陸揚げされ、陸路で中原に運ばれたという見方です〔注2、頁69〕〔注4〕〔注5、頁78〕。
これとは全く別の見解をかつて表したのが、日本民俗学の巨人・柳田国男です。沖縄の海の宝貝に並々ならぬ関心を寄せていた柳田は、我が国の南西諸島、とりわけ宮古島こそが殷・周王朝へのタカラガイの一大供給地であったと唱えました〔注7〕。
先述の上田信氏は、この柳田説を「記憶の底に沈んだ澱をすくい上げるような、心許ないものである」〔注2、頁16〕と評して退けます。その上で、「可能性がもっとも高いルートは、シナ海域の南の海で採取した貝を船に載せ、海岸沿いを北上して山東で陸揚げして中原にいたる、という経路」〔注2、頁69〕を想定します。
私は2025年10月1日発行の拙著で柳田説を支持しました〔注8、第一章〕。詳しくは拙著をご覧ください。私説の要旨は、「私見では、沖縄で採取された宝貝は、南西諸島の島伝いに九州西部に運ばれ、更に朝鮮半島南岸部へ送られ、遼東半島経由で山東半島で陸揚げされた。そこから中原の王朝に届けられたのである。宝貝は、この海路と陸路を倭人から倭人へとリレー式に手渡されていった。この大いなる旅を経て、沖縄の島々では大して珍しくもないこの貝が黄河中流域に入るや至高の宝物と化したのである」〔注8、頁192〕というものです。
中原の王朝でタカラガイ文化が本格化したのは紀元前2000年頃、すなわち今から約4000年前のことです。これは本土日本では縄文時代の後期、奄美・沖縄諸島では貝塚時代の前期に当たります〔注9、頁14〕。拙著を脱稿した時点では、そんな遙か昔に南西諸島と九州本島との間を人々が行き来していたことの証拠を持っていませんでした。
2025年に東京・上野の国立科学博物館で特別展「古代DNA 日本人のきた道」が開催され、それを見学しました。そのことは本ブログの過去記事(2025/5/26)(2025/9/21)で触れました。
この特別展を見学して得た大きな収穫は、縄文時代、南西諸島と九州本島との間の海を人々が渡っていたことを知ったことです〔写真〕。
〔写真〕特別展「古代DNA 日本人のきた道」展示品

トカラ列島に宝島(たからじま)〔鹿児島県鹿児島郡十島村〕という小島があります。そこの大池遺跡に、今から約5000年前、九州本島の人々と南西諸島の人々とが出会っていたことの考古学的証があります。縄文時代前期後葉から縄文時代中期後葉に至る約250年間、彼らは繰り返しこの地を訪れ、煮炊きをして一定期間過ごしていました。南西諸島の土器に混じって南九州の土器がこの遺跡から出土していることがその証拠です〔注9、頁116〕。
約3200年前には、南島の人々は九州本土の上質な黒曜石を使っていました。佐賀県伊万里市の腰岳(こしだけ)の黒曜石が奄美大島、徳之島、沖縄本島の縄文時代晩期の遺跡から出土していることがその証拠です〔注9、頁117〕。
彼らが沖縄の海のタカラガイを九州本土に運んでいたことの証拠はありません。ただ、少なくとも言えることは、中国大陸で黄河文明が興った頃、沖縄の島々の人々は九州本土の人々と接触していたことです。その時代の航海術は驚くほど高度であったのです。
以上から、黄河流域の古代中国王朝のタカラガイは沖縄の海からもたらされたという私説は成立し得るのです。
注:
〔注1〕日本放送協会・NHK出版(編) 2025『NHK 3ヶ月でマスターする古代文明 10月号』NHK出版
〔注2〕上田信 2016『貨幣の条件 タカラガイの文明史』筑摩書房
〔注3〕白川静 1996『字通』平凡社
〔注4〕①木下尚子 2002「古代中国からみた琉球列島のタカラガイ」『第4回「沖縄研究国際シンポジウム」 世界に拓く沖縄研究』(2001年大会)第4回「沖縄研究国際シンポジウム」実行委員会、②木下尚子 2003「商代のタカラガイ需要と琉球列島(予察)」『第4回「沖縄研究国際シンポジウム」ヨーロッパ大会 世界に拓く沖縄研究』(2002年大会)第4回「沖縄研究国際シンポジウム」実行委員会
〔注5〕柿沼陽平 2011『中国古代貨幣経済史研究』汲古書院
〔注6〕落合淳思 2015『殷 中国史最古の王朝』(中公新書)中央公論新社
〔注7〕柳田国男 1978「海上の道」『海上の道』(岩波文庫)岩波書店〔論文の初出は1952年〕
〔注8〕若井正一 2025『倭国の激動と任那の興亡 列島国家への軌跡』一粒書房
〔注9〕篠田謙一ら13名(執筆) 2025『特別展 古代DNA 日本人のきた道』図録:NHKら4機関発行
2026年3月9日 投稿