今年の夏に広島県と島根県に旅行しました。その取材をもとに、前回の投稿記事(2026/10/6)にて、山陰と三次盆地との交通について述べました。本稿では、それに続いて、山陽と三次盆地との交通につき説明します。
この旅行では、往路はJR芸備線で広島駅から三次駅へ移動、復路はJR福塩線で三次駅から福山駅へ移動しました。山陰への旅は三次(みよし)を拠点に車で巡りました。
JR芸備線(げいびせん)は、岡山県新見市の備中神代駅(びっちゅうこうじろえき)と広島県広島市の広島駅を結ぶ、JR西日本の路線です〔写真1〕。安芸国と吉備国とを結ぶことに名の由来があります。
JR福塩線(ふくえんせん)は、広島県福山市の福山駅と広島県三次市の塩町駅(しおまちえき)を結ぶ、JR西日本の路線です〔写真1〕。福山駅と塩町駅とを結ぶことに名の由来があります。
〔写真1〕広島県歴史民俗資料館 展示パネル(2026/8/3撮影)

話は逸れますが、中国山地の鉄道運行はJR西日本にとって経営の足枷となっているとされます。
〔写真1〕は、広島県北部の鉄道路線図です。芸備線、福塩線、木次線(きすきせん)、三江線(さんこうせん)が図示されています。過疎化の進行と道路交通の発達により、鉄道の利用者が減少し、その結果、どの路線も赤字が問題になっています。
このうち三江線は、2018年4月1日を以て全線廃線となりました。これは、江の川(ごうのかわ)に沿って、江津駅〔島根県江津市〕と三次駅〔広島県三次駅〕とを結ぶ路線でした。車窓から見える景色はさぞかし素晴らしいものだったでしょう。そのことは、前回記事(2026/10/6)の〔アイキャッチ画像〕から窺えます。
過去記事(2025/12/30)で触れたように、芸備線は赤字に苦しんでおり、備中神代駅〔岡山県新見市〕~備後庄原駅〔広島県庄原市〕の区間を廃止する案がJR西日本から提起され、沿線自治体との間で現在協議中です。
木次線は、宍道駅〔島根県松江市〕と備後落合駅〔広島県庄原市〕とを結ぶ路線です。そのうち、出雲横田駅〔島根県仁多郡奥出雲町〕と備後落合駅との間の利用者が極端に少ないことから、この区間の廃止案が持ち上がっています。
この区間のうちの三井野原駅〔島根県仁多郡奥出雲町〕は、標高が726㍍であり、JR西日本のうちで最も高所にある駅です〔注1〕。出雲坂根駅〔島根県仁多郡奥出雲町〕と三井野原駅との間は高度差162㍍の急勾配です。これをそのまま電車で上ることはできないため、三段式スイッチバック方式により登ります〔注1〕。その体験は奥出雲観光の売りの一つとなっています。もし上記区間が廃線となってしまうと、この観光は出来なくなります。
話を戻します。
芸備線で広島駅から三次駅までは約2時間程度の乗車でした。山間部に入ったものの、険しい道のりではありませんでした。
とはいえ私は、弥生時代において、備中南部から備後北部の三次までの主要経路が広島からの芸備線ルートであったとは考えません。これは、備中から安芸に行き、それから備後に至る道程です。これはいかにも大回りです。
そうではなくて、備中南部から備後南部に行き、そこから北上して備後北部の三次に至る道程の方が現実的です。要するに、今の福塩線に概ね沿うルートです。これこそがメインルートであったと考えます。
ただし、福塩線そのものではありません。正確に言えば、芦田川(あしだがわ)水系ならびに江の川水系に沿う道程です。福山市から北上して三次市街地に至るコースです。そこで鍵となる地が、後述する広島県府中市(ふちゅうし)の上下町(じょうげちょう)です。この町は、江の川(ごうのかわ)水系と芦田川(あしだがわ)水系との分水嶺です。
以下では、私の旅に沿って説明します。すなわち、三次から福山に至る鉄道の旅です。江の川水系から芦田川水系に南下する旅です。
この南下の旅は、鉄道や自動車道が整備された近代以降になって初めて実現したものではありません。近世以前においても道は通じていました。その証拠が石見銀山の銀の運搬です。
過去の投稿(2026/6/21)において、石見銀山の灰吹銀(はいふきぎん)の輸送隊は、「三次宿を発った後、馬洗川(ばせんがわ)に沿って三次市の吉舎町(きさちょう)に到って吉舎宿で一休みしました。三次宿から吉舎宿までの道は概ねJR福塩線に沿うものです。吉舎宿からは宇賀峠を越えて三次市の甲奴町(こうぬちょう)に到りました。甲奴からは道が二手に分かれます。江戸時代の銀の輸送隊がとったのは、広島県世羅郡世羅町に向かう道です。そこに甲山宿がありました。甲山宿を出た一行はそこから歩んで広島県尾道市に到着したのです」と述べました。
三次市の甲奴町から世羅郡世羅町に至るルートは、現在の広島県道51号甲山甲奴上市線です。これが本来の「銀山街道」であり、灰吹銀運搬の本道でした〔注2〕。
ところが、これとは別のルートがありました。府中市の上下町に行く道です。江戸時代、上下町には上下陣屋が置かれ、備後・備中の幕領約二万石の政都として栄えました〔注2、頁25~26〕〔注3〕。三次市の甲奴町から府中市の上下町に至るルートは、現在の広島県道27号吉舎油木線です。これは、江の川水系の上下川(じょうげがわ)並びにJR福塩線に沿うルートです。これは銀山街道の本道ではありません。とはいえ、石見銀山領内の年貢銀の一部は上下陣屋に集められ、大阪に運ばれました。この年貢銀の輸送路もまた地元では「銀山街道」と呼ばれています〔注2、頁26〕。本稿では、これを「準・銀山街道」と名付けます。
年貢銀は、準・銀山街道により、三次市甲奴町、府中市上下町、福山市新市町、福山市神辺町を経て大阪方面に運ばれました〔注4〕。このうち、府中市の上下町から福山市の新市町までの道が、広島県道24号府中上下線であり、それに続く国道486号です。
そして私は、この準・銀山街道こそが、弥生時代の主要道であったと見ます。
以上をまとめて、弥生時代における三次盆地から瀬戸内海に至る交通路を次のように推定します。
三次市中心部から馬洗川に沿って三次市の吉舎町(きさちょう)に進みます。これはJR福塩線に概ね並ぶルートです。次に、三次市の吉舎町から甲奴町(こうぬちょう)を経て府中市の上下町(じょうげちょう)に至ります。これはJR福塩線に概ね並ぶルートであり、途中から上下川に沿う道です。そして、上下町からは、先述の準・銀山街道を進んで、府中市中心部〔府中町・府川町〕、続いて福山市に至ります。この準・銀山街道(広島県道24号府中上下線および国道486号)は、途中から阿字川(あじかわ)、続いて芦田川(あしだがわ)に沿う道です。阿字川は芦田川の支流です。芦田川は瀬戸内海に注ぐ一級河川です。こうして瀬戸内海に出るのです〔写真2〕。
〔写真2〕広島県歴史民俗資料館 展示パネル(2026/8/3撮影):一部改変

それでは、三次から福山まで鉄道で移動した時の写真を供覧します。
三次駅にて府中駅行きの列車に乗りました。これは一両編成でした〔写真3〕。
〔写真3〕三次駅停車中の府中駅行き列車

この列車は三次駅から塩町駅までは芸備線の路線であり、塩町駅からは福塩線の路線に入ります〔写真1〕。
そして、上下駅に至ります〔写真4〕〔写真5〕。三次駅から上下駅まで約1時間の乗車です。ここまで、特に険しい山や長いトンネルはありませんでした。上述したように、私の推定では、このルートは弥生時代の人々が往来した道です。
〔写真4〕JR福塩線 上下駅

〔写真5〕JR福塩線 上下駅

上下(じょうげ)という、珍しい町名の由来には諸説あります。いずれにせよ、この地が江の川水系と芦田川水系との分水嶺であることに由来します。町の北側に降った雨は江の川水系に流れ込んで日本海に注ぎ、町の南側に降った雨は芦田川水系に流れ込んで瀬戸内海に注ぐのです。分水嶺が市街地にある点で上下町はユニークです。その標高は383.7㍍とのことです〔注3〕。
上下駅〔府中市上下町上下〕を出た列車はやがて終点の府中駅〔府中市府川町〕に到着しました。府中駅は広島県府中市の中心市街地にある駅です。上下駅から府中駅まで約45分の乗車です。上述したように、私の推定では、このルートは弥生時代の人々が往来した道ではありません。私の推定では、弥生時代の人々が上下町と府中市中心部〔府中町・府川町〕との往来に使った道は、広島県道24号府中上下線および国道486号です。この道が福塩線と重なるのは、河佐駅〔府中市久佐町〕・中畑駅〔府中市河佐町〕と府中駅〔府中市府川町〕との間の区間だけです。
「府中市」(ふちゅうし)は全国に二つあります。東京都府中市と広島県府中市です。どちらも律令時代の国府〔令制国の中心〕が所在したことに由来します。前者は武蔵国(むさしのくに)の国府、後者は備後国(びんごのくに)の国府です。備後国府は現在の府中市の中心市街地にありました。ここで押さえておくべきは、それが芦田川流域にあることです。芦田川の左岸に広がる平野部が府中市の中心市街地であることです。このことは、奈良・平安時代における備後国の往来が芦田川を軸にしていたことを示します。
府中駅で別の電車に乗り換えました〔写真6〕。
〔写真6〕府中駅停車中の福山駅行き列車

府中駅から約45分の乗車で福山駅に到着しました。福山駅に接してあるのが、広島県立歴史博物館であり、福山城です〔アイキャッチ画像〕。
〔注1〕①奥出雲町公式観光ガイド「ツアー:スイッチバック体験と標高726m JR西日本最高所駅(三井野原駅)」〔一般社団法人 奥出雲町観光協会〕、および、②木次線ポータルサイト〔雲南市政策企画部・奥出雲町奥出雲創生課 木次線利活用推進協議会〕によります。どちらもインターネットで公開されています(2026/10/11現在)。
〔注2〕道重哲男・相良英輔(編) 2005『街道の日本史38 出雲と石見銀山街道』吉川弘文館
〔注3〕上下天領ツーリズム〔天領上下まちづくりの会〕:インターネットで公開中(2026/10/11現在)
〔注4〕笠岡市ホームページ:政策部まちづくり課の「銀の道(銀山街道)」
2026年10月15日 投稿