2025年3月15日に上野の国立科学博物館で始まった特別展「古代DNA 日本人のきた道」は、その後に名古屋の名古屋市博物館に場所を移し、2025年9月23日で終了します。閉幕まであと3日です。
 2025年5月26日に、この展覧会について「古代DNA展を見学して」と題して本ブログに投稿しました。本稿はその続編です。
 日本人のルーツに関して我々が最も関心を抱くテーマは、縄文人と弥生人との関係です。私の率直な印象を言えば、古代DNA展はこれについてあまり深く踏み込んでいません。もちろん、触れていないわけではありません。

古代DNA展 展示パネル
古代DNA展 展示パネル

 その公式図録には、「今から2900年ほど前、朝鮮半島南部の青銅器文化人が九州北部に水田稲作を主な生業とする新しい社会や文化をもち込んだ。弥生時代の始まりである。本州・四国・九州を舞台に3世紀中頃までの1100年あまり続いた弥生時代には、縄文人の子孫はもちろん、縄文人とは異なるDNAをもつ青銅器文化人とその子孫たち、そして縄文人の子孫と交雑した人々など、日本の歴史の中で最も多様なDNAをもつ人々が活躍していた。縄文時代にはない水田稲作、武器や戦い、新たな疾病などが登場したことにより、人々の間には格差が生じ、社会がそれまでとは大きく変わったことがわかっている。しかし水田稲作が始まった弥生早期・前期の九州北部では朝鮮半島系の人々の骨が見つかっていないので本章では渡来人の人々が存在していたことを間接的に示す資料を集めた。(後略)〔注1、頁63(執筆:藤尾慎一郎)〕とあります。
 「今から2900年ほど前」に、朝鮮半島南部から北部九州に渡って来た人々がいた。それが「青銅器文化人」である。彼らが「水田稲作を主な生業とする新しい社会や文化」を日本列島にもたらした。こうして弥生時代が始まった。その結果として、縄文人のDNAプールに「縄文人とは異なるDNA」が持ち込まれた。両者が「交雑」して形成されたのが弥生人のDNAプールである。古代DNA展の説明をかいつまんで言うと、こうなります。
 これは、日本列島の縄文人と「朝鮮半島南部の青銅器文化人」との遺伝子(DNA)が異なっていたことを説いているのであって、両者が民族的に異なっていたと言っているわけではありません。とはいえ、「交雑した」という表現に露わなように、両者が異なる民族であったことを言外に含んでいることは否めません。日本列島の人々と朝鮮半島南部の人々とは異なる民族であった。ところが、2900年前に後者が前者の地に渡来してきた。そして両者が混血することで新たな民族が生まれた。それが倭人であり、日本人である。こういう考えが根底にあることは容易に感じ取れます。というか、古代DNA展に限らず、これが今日の通念です。近年の古代DNA研究はこの通念に科学的な裏付けを与えたという建て付けになっているのです。
 しかし、私はこの通念は間違っていると思います。紀元後六世紀まで倭人は朝鮮半島南部に住んでいたと考えているからです。日本列島の縄文人と「朝鮮半島南部の青銅器文化人」とのDNAは異なるという古代DNA展の説が正しいとしても、それは倭人という民族集団の中の遺伝子レベルの地域差に過ぎない。日本列島の倭人の縄文文化に、朝鮮半島南部の倭人の水田稲作文化がもたらされた。両者が融合して生まれたのが弥生文化である。私はこう考えます。
 来月に「倭国の激動と任那の興亡 列島国家への軌跡」と題する拙著を自費出版します。総ページ数680余り、ハードカバー、税抜き価格は1200円です。紙の出版部数は数に限りがありますが、電子書籍でより安価に入手することもできます。その中で上記に関することを詳述しています。上梓された暁には、このブログで内容を紹介いたします。ご興味があればamazon等にて是非お求め下さい。

注:
〔注1〕篠田謙一ら13名
(執筆)『特別展 古代DNA 日本人のきた道』図録〔NHKら4機関発行 2025年〕

 2025年9月21日 投稿