直近の記事(2026/2/16)で、大和川水系流域の古墳について、次のことを指摘しました。
 (1)三角縁神獣鏡の副葬が始まるのは260年代末であることです。
 それが黒塚古墳です。
 (2)玉類の副葬が始まるのは270年代であることです。
 それが桜井茶臼山古墳ならびに下池山古墳です。

 直近の記事(2026/2/16)で述べたように、黒塚(くろづか)古墳〔奈良県天理市柳本町〕は、布留0式新相〔注1〕/布留式古段階古相〔注2、①②〕、集成編年の1期〔注3〕または2期〔注4〕、広域編年のⅡ期〔注5〕、新潟シンポジウム編年の7期〔注2、①②③〕の古墳です。暦年代では260年代末と推定されます。
 ここから、画文帯神獣鏡(画文帯蟠龍乳四神四獣鏡)が1面、三角縁神獣鏡が33面出土しました。注目すべきはその配置です。木棺の中に置かれていたのは画文帯神獣鏡のみでした。それは被葬者の頭部~胸部付近に置かれていました。三角縁神獣鏡はすべて木棺の外にあって、木棺を取り囲むように鏡面を棺に向けて立て置かれていました〔注6、頁108~113〕
 もう一つの注目点は、玉類が出土しなかったことです〔注6〕

 以上が、三角縁神獣鏡と玉類を巡る大和川水系流域の状況です。それはすなわち260年代末以降の大和政権の状況です。

 そこで、本稿で取り上げるのが、筑前の那珂八幡古墳と越前の花野谷1号墳です。

 下の〔図〕は、2023年刊行の全国邪馬台国連絡協議会(全邪馬連)論文集へ寄稿した論文〔注7〕中の図です。この論文の〔本文〕〔表〕〔図〕は全邪馬連のホームページで公開されています。

〔図〕

 この図は、中・小型(面径20㎝未満)倭製鏡または三角縁神獣鏡を有し、且つ、大型(面径20㎝以上)倭製鏡と画文帯神獣鏡との双方を欠く、西暦275年以前の古墳を示したものです。中・小型倭製鏡出土古墳を「グループA」、三角縁神獣鏡出土古墳を「グループB」としています。

 ここにおいて、福岡市にグループBの古墳が二つあります。そのうちの一つが、那珂八幡(なかはちまん)古墳〔福岡県福岡市博多区那珂〕です。
 これについては、過去の記事(2025/11/16)(2025/12/15)(2026/2/16)にて触れました。
 1985年に古墳の第2主体部の発掘調査が福岡市教育委員会により行われました。出土した土器より、第2主体部の年代は古墳時代初頭と目されています〔注8〕。それは、大和の箸墓古墳と同時期すなわち西暦250年代と推定されます。
 ここから三角縁神獣鏡が一面出土しました。三角縁画文帯五神四獣鏡(目録番号56)です〔注9、頁364〕。福永編年〔注10〕の舶載B段階、岩本編年〔注5②〕の舶載第2段階です。暦年代では、240年代に製作されたと目される鏡です〔注11〕〔注5②、頁172〕
 卑弥呼は、景初三年(239)、正始四年(243)、正始八年(247)に魏に遣使しました。那珂八幡古墳・第2主体部出土の三角縁神獣鏡は、正始四年または正始八年の遣使の際に下賜されたものと推定されます。
 もう一つの出土遺物が玉類です。その内訳は、ヒスイ製勾玉が1点、碧玉製管玉が2点、ガラス小玉が1点です〔注8①〕〔注12、頁195〕
 鏡と玉類とは共に木棺の内側に副葬されていました。三角縁神獣鏡は被葬者の胸部左側に接して、玉類は頭部周辺に置かれていました〔注8①〕

 福井市にグループBの古墳が一つあります。それが、花野谷(はなのたに)1号墳〔福井県福井市花野谷町〕です。
 これは、福井市街地の東方にある山の西斜面に位置する〔写真1〕、直径20㍍の円墳です〔注13〕

〔写真1〕福井市立郷土歴史博物館の展示パネル(2022/11/11撮影)

〔写真1〕

 花野谷1号墳の年代は、集成編年の1期〔注14〕、広域編年のⅠ期〔注5②、頁382〕、新潟シンポジウム編年の7期〔注15〕です。
 それは、大和の黒塚古墳と同時期か、それより少し早い時期ということになります。西暦では260年代と推定されます。
 その第1埋葬施設から二面の中国鏡が出土しました〔注13〕。三角縁神獣鏡が一面、連弧文昭明鏡が一面です〔注9、頁56〕〔写真2〕

〔写真2〕福井市立郷土歴史博物館の展示パネル(2022/11/11撮影)

〔写真2〕

 このうち三角縁神獣鏡〔写真3〕は、三角縁天王・日月・獣文帯四神四獣鏡(目録番号70)です〔注9、頁56〕。福永編年〔注10〕の舶載B段階、岩本編年〔注5②〕の舶載第2段階です。暦年代では、240年代に製作されたと目される鏡です〔注11〕〔注5②、頁172〕
 花野谷1号墳出土の三角縁神獣鏡は、正始四年(243)または正始八年(247)の卑弥呼の遣使にて下賜されたものと推定されます。卑弥呼はこの鏡を生前の花野谷1号墳被葬者に配布しました。卑弥呼の都から越前までの鏡の運搬は、淀川を遡上して近江に達し、それから琵琶湖の西岸を北上するルートであったと思われます。

〔写真3〕福井市立郷土歴史博物館の展示品(2022/11/11撮影)

〔写真3〕

 同じく第1埋葬施設から、剣が1点、槍が2点、鏃が3点、刀子が2点、漆膜片が1点出土しました。
 そして玉類です。その内訳は、勾玉が1点、管玉が25点、小玉が147点です〔注13〕
 これらの遺物(鏡、玉類、武器、その他)はすべて木棺の内部に副葬されていました。二面の鏡と玉類とは被葬者の頭部付近に置かれていました〔注13〕

 以上、大和の黒塚古墳(以下、Aとする)、筑前の那珂八幡古墳・第2主体部(以下、Bとする)、越前の花野谷1号墳(以下、Cとする)について見てきました。
 総合すると、そのポイントは次の諸点にまとめられます。
 (1)古墳の年代は、順に、Bが250年代(布留0式古相併行期)、Cが260年代、Aが260年代末(布留0式新相併行期)です。
 (2)A、B、Cのいずれにおいても三角縁神獣鏡が副葬されました。その面数は、BとCでは一面だけです。それに対して、Aでは大量です。
 (3)三角縁神獣鏡の配置は、BとCでは棺の中にあって被葬者の体近くに置かれました。それに対して、Aではすべて棺の外に置かれました。
 (4)BとCでは勾玉を含む玉類が副葬され、それは被葬者の体近くに置かれました。それに対して、Aでは玉類が副葬されませんでした。

 こうしてみると、BおよびCは、Aとは異質であることが分かります。BおよびCの被葬者が三角縁神獣鏡を入手した経緯は、Aの被葬者がそれを入手した経緯とは異なると考えられます。
 Aの被葬者は大和政権の実力者です。一方、BおよびCの被葬者は卑弥呼から三角縁神獣鏡を配布されました。つまり、卑弥呼の政権は大和政権とは異なるのです。

 ちなみに、〔写真4〕は花野谷1号墳についての福井市立郷土歴史博物館の展示パネルです。

〔写真4〕福井市立郷土歴史博物館の展示パネル(2022/11/11撮影)

〔写真4〕

 このパナルのイラストは、花野谷1号墳の被葬者の生前の姿です。玉類を身につけた人物が両手で鏡(おそらく三角縁神獣鏡をイメージ)を前方に掲げています。その性別は女性のようです。
 しかし、実際には、この古墳の被葬者の性別について確かなことは分かりません。複数の武器が副葬されたことからすれば、男性である可能性の方が高いと考えます。

 最後に、話を2023年の拙文〔注7〕〔図〕に戻しましょう。
 この図におけるプロットが、卑弥呼または台与から配布された鏡が副葬された古墳です。従って、それは卑弥呼・台与政権の版図の一部を表しています。
 西端の一つが筑前の那珂八幡古墳です。東端が越前の花野谷1号墳です。強いてプロットの集まりの中心を言えば、それは吉備です。
 つまり、邪馬台国を都とする倭国は、西は北部九州、東は北陸に及ぶ、広域的な国家だったのです。そして、敢えて言えば、吉備がその中心です。このことは、邪馬台国吉備説をとる私説〔注16〕と整合的です。
 
 ただし、奈良盆地を含む大和川水系流域はこの倭国の域外にありました。それが狗奴国です〔注16〕
 両者が統合されたのが260年代の終わりです。それを成し遂げたのが狗奴国です。その考古学的表れが黒塚古墳の大量の三角縁神獣鏡であり、それに続く桜井茶臼山古墳・下池山古墳の倭製鏡と玉類なのです。ここに、大和朝廷を中核とする新たな倭国が誕生したのです。

 注:

〔注1〕①寺沢薫 2018「研究編 出土土器からみた黒塚古墳の築造時期の位置づけ」奈良県立橿原考古学研究所(編)『黒塚古墳の研究』八木書店
 ②橋本輝彦 2017「纒向遺跡と纒向古墳群からみた初期ヤマト王権と黒塚古墳」『王権は移動したか ―纒向から柳本へ―』第37回奈良県立橿原考古学研究所公開講演会(2017/11/3 橿原市)資料集:奈良県立橿原考古学研究所

〔注2〕①市村慎太郎 2024「近畿の様相」『東日本における土器からみた古墳社会の成立』東日本古墳確立期土器検討会
 ②山本亮 2024「土器編年と前方後円墳集成2~4期」『東日本における土器からみた古墳社会の成立』東日本古墳確立期土器検討会
 ③山本亮 2024「大和南部」『出土土器からみた古墳の年代(第2分冊)』東日本古墳確立期土器検討会

〔注3〕岡林孝作・水野敏典 2018「総括編 編年的位置」奈良県立橿原考古学研究所(編)『黒塚古墳の研究』八木書店

〔注4〕今尾文昭 2011「古墳文化の地域的諸相 近畿中・南部」広瀬和雄・和田晴吾(編)講座 日本の考古学7 古墳時代(上)』青木書店

〔注5〕①岩本崇 2018「研究報告 副葬品と埴輪による前期古墳広域編年」中国四国前方後円墳研究会(編)『前期古墳編年を再考する』六一書房
 ②岩本崇 2020『三角縁神獣鏡と古墳時代の社会』六一書房

〔注6〕岡林孝作・水野敏典・奥山誠義(編著)・奈良県立橿原考古学研究所(編) 2018『黒塚古墳の研究』八木書店

〔注7〕若井正一 2023「大和の狗奴国政権が吉備=邪馬台国を平定した」みんなの邪馬台国編集委員会(編)内野勝弘(編集責任)全国邪馬台国連絡協議会会員論文集 みんなの邪馬台国』創刊号:全国邪馬台国連絡協議会

〔注8〕①井沢洋一・米倉秀紀(編著) 1986『福岡市埋蔵文化財調査報告書 第141集 那珂八幡古墳』福岡市教育委員会
 ②平尾和久・上田龍児・小嶋篤 2024「筑前における集落と古墳の動態 弥生時代終末期~飛鳥時代第25回九州前方後円墳研究会佐賀大会実行委員会(編)『集落と古墳の動態Ⅴ』第25回九州前方後円墳研究会佐賀大会発表資料集
 ③久住猛雄 2025「筑前西部~中部地域における弥生時代終末から古墳時代の銅鏡の流入・伝世・副葬・廃棄 ~糸島・早良・福岡平野・二日市地峡北半・糟屋地域~第26回九州前方後円墳研究会長崎大会実行委員会(編)『九州島の古墳時代における銅鏡の様相』第26回九州前方後円墳研究会長崎大会発表資料集

〔注9〕下垣仁志 2016『日本列島出土鏡集成』同成社

〔注10〕福永伸哉 2005『三角縁神獣鏡の研究』大阪大学出版会

〔注11〕福永伸哉 2025「三角縁神獣鏡と親魏倭王」宮本一夫(編集)日本考古学協会(企画)『論争 邪馬台国』雄山閣

〔注12〕谷澤亜里 2020『玉からみた古墳時代の開始と社会変革』同成社

〔注13〕大川進 2012「花野谷古墳群 花野谷1~3号墳の調査古川登(編)『福井市古墳発掘調査報告書Ⅰ 酒生古墳群 花野谷古墳群 熊野山古墳群 足羽山古墳群 西大味古墳群』福井市教育委員会

〔注14〕①高橋浩二 2011「古墳文化の地域的諸相 北陸」広瀬和雄・和田晴吾(編)講座 日本の考古学7 古墳時代(上)』青木書店
 ②伊藤雅文 2012「畿内の展開 北陸」一瀬和夫・福永伸哉・北條芳隆(編)古墳時代の考古学2 古墳出現と展開の地域相』同成社

〔注15〕安中哲徳・中江隆英 2024「北陸南西部(越前・若狭)の概要」『東日本における土器からみた古墳社会の成立』東日本古墳確立期土器検討会

〔注16〕若井正一 2019『邪馬台国吉備説からみた初期大和政権 物部氏と卑弥呼と皇室の鏡を巡る物語』一粒書房

 2026年2月22日 投稿