近畿地方とは、大阪府、京都府、奈良県、和歌山県、三重県、滋賀県、兵庫県の2府5県を指すのが通例です。一方、令制国でいえば、どの国々が近畿地方であるかについて決まりがあるわけではありません。そこで、ここでは、摂津、山城、大和、河内、和泉から成る畿内(五畿)と、それに加えて、紀伊、伊賀、伊勢、近江、播磨の五つの国とを近畿地方と称することにします。

 古代史学者や考古学者の多くは、卑弥呼時代すなわち三世紀前半の畿内が一つにまとまっていたことを暗黙の前提にしています。
 その証拠が、彼らが邪馬台国畿内説(大和説)をとることです。
 『三国志』魏志倭人伝の道程記事において、北部九州の国々の次にくるのが「投馬国」であり、その次が「邪馬台国」です。
 畿内説(大和説)によれば、投馬国が吉備であり、邪馬台国が大和です。この場合、吉備の東の国々、すなわち播磨、摂津、山城、河内、大和が一つであること、少なくとも敵対関係にはないことが大前提となります。
 ところで、魏志倭人伝によれば、投馬国と邪馬台国とは共に「倭国」の構成国です。とすると、畿内説(大和説)によれば、吉備の王は大和を都とする倭国王・卑弥呼に従っていたとことになります。吉備と大和とは同盟関係にあったというわけです。
 しかし、彼らのこの考えは本当に正しいのでしょうか?

 『古事記』『日本書紀』は、近畿地方についての彼らの前提・考えを斥けます。のみならず、吉備と大和との関係についても、『記』『紀』はそれを否定します。
 それでは、考古学的にはどうでしょうか?結論を先にいえば、考古学上の事実もまた彼らに異議を呈します。

 畿内には二つの水系があります。淀川水系と大和川水系です。
 私は、拙著において、この二つの水系およびそれに付随する交通路を、「淀川・関ヶ原ライン」、「大和川・青山峠ライン」と命名しました〔注1〕
 前者は、淀川〔アイキャッチ画像〕を遡上して近江を経て関ヶ原を抜けるルートです。現在の鉄道で言えば、JRの路線です。後者は、大和川を遡上して奈良盆地を経て青山峠を抜けるルートです。鉄道で言えば、近鉄の路線です。

 古代史学者や考古学者は、この二つの水系・交通路を一緒くたにしています。彼らは両者に差異があることに気付いていません。それ故、三世紀前半の畿内をひとまとまりの地域と思い込み、それを大和政権の勢力圏と見ているのです。しかしこれは誤りです。

 本ブログでは、考古学のことに絞って、古の近畿地方について三回に分けて論じます。本稿は「その一」です。
 対象とする遺物は、〔1〕画文帯神獣鏡と三角縁神獣鏡、〔2〕倭製鏡、〔3〕玉類です。

〔1〕画文帯神獣鏡と三角縁神獣鏡

 本ブログにおいて、「画文帯神獣鏡と三角縁神獣鏡」と題する記事のシリーズを6回に亘って掲載しました。そこで主張したのは、260年代末までの国内において、画文帯神獣鏡を配布した主体と三角縁神獣鏡を配布した政権とは異なることです。そして、前者が大和政権に関わる主体であり、後者が卑弥呼・台与政権です。

 このことは、近畿地方における鏡の出土状況から見て取れます。

 〔図1〕および〔図2〕は、2019年の拙著にて公表したものです〔注1〕
 そこでは、近畿地方およびその周辺の府県を、奈良、京都、大阪、兵庫、香川、徳島、三重、滋賀、岐阜の九府県としました。


 〔図1〕は、近畿地方およびその周辺の府県につき、下垣仁志『日本列島出土鏡集成』(同成社 2016年)が載せる「三角縁神獣鏡目録」のデータを私が集計したものです。その際に京都大学の目録番号が付いた鏡に限定しました。
 〔図2〕は、近畿地方およびその周辺の府県につき、上記『日本列島出土鏡集成』の都道府県別出土鏡リストから私が画文帯神獣鏡を抜き出し、集計したものです。その際に舶載の神獣鏡に限定しました。

〔図1〕近畿圏出土の三角縁神獣鏡

〔図1〕

〔図2〕近畿圏出土の画文帯神獣鏡

〔図2〕

 両図を見比べて見ましょう。
 二つの鏡に共通することとして、奈良、京都、大阪、兵庫の4府県で全体の8割余り(三角縁神獣鏡の82.9%、画文帯神獣鏡の81.3%)を占めることです。

 注目すべきは相違点です。
 ①京都の出土割合です。
 三角縁神獣鏡では21.8%であるのに対して、画文帯神獣鏡では13.4%です。
 つまり、画文帯神獣鏡の京都における出土数が相対的に少なめです。
 ②滋賀・岐阜と三重との比較です。
 三角縁神獣鏡の場合、滋賀・岐阜にて全体の9.4%であるのに対して、三重では全体の4.7%です。
 画文帯神獣鏡の場合、滋賀・岐阜にて全体の1.8%であるのに対して、三重では全体の8.0%です。
 つまり、画文帯神獣鏡は、三角縁神獣鏡と比べて、滋賀、岐阜にて殆ど出土していません。一方、三重県では相対的に多く出土しています。

 ①および②のことは、画文帯神獣鏡が、私のいう淀川・関ヶ原ラインで余り流通しなかったことを意味します。

 画文帯神獣鏡は、西暦200年以降に中国で製作され、238年(公孫氏の滅亡)までに日本列島にもたらされた鏡です〔注2、頁148~154〕。それを海外から入手したのは大和政権の実力者です。その実力者はこの鏡を他の有力者に配布しました。その配布は大半が三世紀半ばまでに完了したとみてよいでしょう。
 だとすると、画文帯神獣鏡が淀川・関ヶ原ラインにて乏しいことは、三世紀半ばまで淀川水系の流域が大和政権の勢力圏にはなかったことを示唆します。

 つづく

注:


〔注1〕若井正一 2019『邪馬台国吉備説からみた初期大和政権 物部氏と卑弥呼と皇室の鏡を巡る物語』一粒書房

〔注2〕福永伸哉 2005『三角縁神獣鏡の研究』大阪大学出版会

 2026年2月1日 投稿